いろんなメンバーが集まる、猫バンド。
いろんな経験をもつ猫達が集まってきます。
時にはぶつかることもあるけれど、一人一人の価値観が違うからこそ社会人バンドは面白い。
少しだけ、自分の歩いてきた経験を残しておきます。
<母校の思い出>
私は愛知学院大学「JazzRainbow」出身です。
ビッグバンドの世界で愛知学院といえば超名門だけど、キャンパスが違い、完全に独立したコンボ部。
お互いに全く交流がなく、相手の部室の場所すら知らないのです。
他大学とも一切交流がないため、存在も知られていないかもしれません。
私がサックスに出会い、JAZZという音楽を始め、卒業まで在籍しつづけたのは、この、超マイナーな部活です。
時期は二年生の終わり。
本山キャンパスの校門の左手に、4階建の古びた鉄筋コンクリートのクラブ棟がありました。
調律のされていない、鍵盤の禿げたグランドピアノ。
弦の伸び切ったウッドベース。
解体されて埃を被ったJazz用のドラムセット。
初めて部室を訪れた日、部員は他に誰もいませんでした。
運動部だった私は、JAZZ部にも兼部していて、かつJAZZ部部長の肩書きのある先輩に連れて来られました。
その先輩はピアノだけど、JAZZは全く演奏できない。
父親の持ってたレコードでJAZZが好きになり、自分の大学にJAZZ部がある事をしったけど、
廃部寸前のまま何年も経っており、本当に廃部の話が出ていたそう。
その先輩は、部活を存続させるために学校側に交渉したり部員名簿を作ったりした、と聞きました。
そのために、演奏できないけど部長になったのだと。
<Jazzに出会う>
なぜそんな状態のJAZZ部に入ることになったかというと。
私の高校時代の親友が県外の大学に進学してJAZZを始め、帰省のたびに楽しそうに話してくれました。
が、私はJAZZは興味がなく話半分に聞き流していました。
二年生の秋、例の先輩にたまたまその話をしたら、
「学祭でJAZZ部が初めて演奏してみることになったから、来て!」
と半ば強引に誘われ、学祭のステージを見に行くことに。
外部生は全く来ない、小さな内輪だけの学祭。
そこで初めて聴いたJAZZの生演奏。
ステージでは、一年生のピアノの男の子が、トリオで「枯葉」を弾いていた。
演奏の出来ない先輩は、客席で私の隣にいました。
演奏そのものの記憶はほとんど残っていません。
JAZZをよく知らないから、何をやってるかはよく分からなかった。
ただ、一人きりで弾くクラシックピアノと違って、他の楽器と一緒に楽しそうに演奏している姿が印象的でした。
演奏終わった後、その子がこちらに走って来て
「僕の演奏どうでした?!実は、今日初めて人前で演奏したんです!」
と声かけて来たのです。
先輩が、私の事を、JAZZに興味あるみたいよ、と紹介すると
「じゃぁ一緒にやりましょうよ!部員になってください!」
初対面なのにグイグイくるなぁ、と苦笑いしつつも
親友も楽しいっていってたし、JAZZ、やってみようかな、と思ったのです。
<サックスに出会う>
後日、先輩に部室に案内された日、部員は誰もいなかった。
「今は、ピアノ、ベース、ドラムしかいないの。」
「前はサックスの先輩が1人いたけど、卒業しちゃったから、よかったらどう?」
「今はフロント楽器が1人もいないの。」
と、部室の休憩スペースの奥から、ボロボロのアルトサックスを持ってきました。
いつでも部室に来ていい、と言われたので、部室にあった本を引っ張り出して、独学で始めました.
が、頑張って音を出そうにも、出し方がよくわからない。
なんとか音が出ても、正しいのかすらわからない。
最初が肝心だよな、と危険を感じ、プロのレッスンに通おうと決め、紹介された楽器店に持っていくと
「修理すら出来ない状態だよ。しかも正規のメーカーでもない。」
「これで演奏は無理だよ」と言われる始末。
今日は先生が空いてるから、よかったら楽器も選んでもらったら?と勧められ
手頃な価格のものを数本選定してもらい、後日、成人式のお祝い金を全て使って楽器を購入。
さっそく音作りから習い始めました。
部活では、管楽器について教えてくれる人は誰もいない。
リズム楽器しかいないので、とにかくやってみるしかない状況でした。
例えどんな曲でも、どんなに下手くそでも、先輩たちは演奏に付き合ってくれる。
楽器奏者が増えた事が、とにかく嬉しかったと言っていた。
今思えば、とても恵まれていたなと思います。
<部活を受け継ぐ>
春になり、三年生になった6月。
JazzRainbow部は、10年以上ぶりのリサイタルを開くことになりました。
"季節はずれリサイタル"と銘打って、薄い緑の厚紙にパンフレットも印刷して、OBの先生達も呼んで。
無事に演奏が終わったあと。
活動自体が停滞していたので、OBの先生達も
「まともに音楽できる状態なのか?いざとなったら自分達が助けに入らないといけないか?」
とソワソワしていたと後から話してくれました。
せっかく先輩が存続させてくれた部活。
後輩たちにも繋げていきたい。
このリサイタル後、他大学のJAZZ部がどんな感じかを知りたくて、
管楽器が一人きり、というのが寂しくて、
他大学のビッグバンド部に兼部する事にしました。
<ビッグバンドに出会う>
母校のためにも、他の大学のJazz部がどのように活動しているかを知りたかった。
また、管楽器の学生の知り合いがどうしても欲しかった。
「ビッグバンド」という種類のJazz部には、管楽器奏者がたくさんいるらしい。
授業の都合で外部にいける時間はかなり限られていました。
授業後に通えそうな近くの大学のビッグバンド部に応募してみました。
それが、八事にある中京大学「New Sounds Jazz Orchestra」。
私が応募をしたとき、偶然にも、その大学はアルトサックス不足で
トラ(エキストラの意味で臨時の他大学生の事)を呼んでいた状態だったそうです。
トラの任期が残り1ヶ月だったため、そのまま譜面を渡されました。
ビッグバンドの譜面を見たのはこれが初めてでした。
紙切れ一枚分しかないコンボの譜面と違って、なんだか長い。
コードも書いてないし、いくら眺めてもメロディが見えてこない。
ビッグバンドはCD一枚も持っていないので、まずは皆の合奏を見学してみることにしました。
大きな講義室の黒板の前で合奏が行われていました。
一番遠くの席に陣取り、譜面を見ながら観察していると
管楽器たちが同じように動いたり、バラバラに動いたりをしている。
普段、コンボでは自分一人でメロディやってるのに
まるで砂浜に波が打ち寄せるようにいろんな楽器が出てくる。
どうやって左右を合わせてるんだろ?
他の管楽器が出て来るときは、どうやって受け渡してるんだろ?
そもそも、この譜面でどうやって曲全体を把握してるんだろう?
それが物凄く不思議で、ビッグバンドというJAZZの新しい編成に、音楽的にも興味を持ちました。
今でも、この時の気持ちが残っています。
掘り下げれば掘り下げるほど、気づかなかったいろんな事が見えてきたりするのが面白い。
<恥をかく>
それから2ヶ月ほど経ったとき。
各大学からのピックアップメンバーで合同バンドを組む企画があり
一緒においで、と誘われました。
配られた曲は4曲。アルトは8名。
ちょうど一人1曲1パートの割り当てでした。
「Queen Bee」「La Fiesta」「Ya Gatta Try…Harder」「I'm beginning to see the light」
どの曲も知らない曲だったので、他大学の人達が譜面を選び終わるのを待ち
最後に残されたものを、勧められるまま素直にもらいました。
それが「Ya Gatta Try…Harder」のリードでした。
練習が進むと、私が実は初心者だという事がわかり、騒ぎに。
リードなのに、曲すらよくわかっていない。
ソプラノも初めてのようだ。とはいえもう時間もない。
あと数回の練習で本番。
一度合奏そのものが中止となり、呼び出され、グルリと他大学からのサックス吹きに見守られる中
1人だけメトロノームで基礎練習から教わる事態にまでなりました。
3年生から突然他大学からやってきた自分。
ビッグバンドの基礎を誰にも教わる機会もなく、実践がスタートしてしまっていました。
偶然とはいえ、トラの代わりに入ってきた形になってしまったため
問題点を指摘してくれる人は、なかなかいない。
譜面が読める、音も出せる。
でもそれだけでは、Jazzにはならない。
一人で吹いてたコンボと違い、他人と合わせるには基礎の共通認識が必要。
アンサンブルとは何なのか、この時に身をもって知りました。
もし自分が1年生だったら、人前で恥をかく前に教えてもらえていたかもしれない。
恐らく周りも気づいていたのだろうけど、言いにくかったのだろうな。
でも、もっと早くいってほしかった。
自分がいつかその立場になったら
伝えてあげられる先輩になりたい、と思うようになりました。
<交流をもつということ>
最終的に1ヶ月後、Ya Gattaのリードアルトとして本番に出ました。
どうやらクレームが来ない程度にはなんとかなったようです。
それだけ、いろんな大学の人達が、また一緒にやる他の楽器の人達が、支えてくれた。
これがキッカケとなり、いろんな大学の人と交流を持つようになりました。
学校同士の助け合いの雰囲気がとても根付いていた。
これは他校と一切交流のない母校では考えられない事で
ものすごく印象に残っています。
自分は将来、いつか自分のバンドを作ると思う。
そしてその時は、交流をもち、助け合いのできるようなバンドでありたい。
たとえ初心者でも、よいフォローを受けられれば上手くなれる。
自分がしてもらった事は、いつか還元していこう、と決めたのです。
四年生になると平日に他大学にいく余裕はなくなったため、在籍はその年のみとなりました。
期間としては、半年ちょっとの短い間。
でも、外の世界に出かけたことで、新しい景色をみれた。
その後は月一で活動する社会人バンドに入ることにしました。
<トラになる>
ところが四年生の夏休み。
今度は静岡大学「Jazz Phenomena」にトラとして呼ばれることに。
こちらは浜松で、土曜に合奏をしている部活でした。
4ビートを中心にやっていた中京大学と違い、こちらはコンテンポラリー中心。
まったくスイングしない、今まで聞いたこともないジャンル
「これのどこがJAZZなの?!」と戸惑いました。
そもそもなぜ他県の部活のトラをする事になったかというと
サックス教室の合宿で知り合った子達に
「せっかくだからうちの大学に遊びにおいでよ!」
と誘われたのが最初でした。
土曜ならいける。
行くよ!と気軽に返事しました。
後日、3rdアルトの譜面と音源が送られてきました。
<厳しさを知る>
友人たちの大学の合奏は、かなり厳しい雰囲気でした。
去年までお世話になった部活とはかなり違う。
部員も多く、選抜制でメンバーを選ぶ”レギュラー制”をとっていた事を知りました。
そのことすら知らず、誘われるままのほほんと来てしまった。
『レギュラーバンドの3rdアルトのトラを頼まれた』
という事実を、その場で初めて認識しました。
リードアルトが私の奏法の問題に気づき
そこから毎週、アルト奏者としての特別練習も始まりました。
合奏前の2時間以上前には部室に到着し、猛特訓を受ける。
メトロノームの前で、リードアルトが黙々と吹くのに合わせていく。
譜面が追えて指も動かせるのに、サウンドしない。
「リードの細かいニュアンスを掴んでハモらせ、厚みを持たせる」
「ふっと出てくる短いメロディを受け継いで、また渡していく」
というのが、3rdアルトの役割。
とても難しく、何度も何度も吹き直しさせられていました。
特に苦しんだ曲は、Ryan Hainesの「To the Sky」。
ついていくのに必死で
「血を吐くまで練習してこい。」
と言われたのが、この曲の一番の思い出。
その分、きちんと練習に付き合ってくれる。
とてもありがたく、勉強になりました。
厳しい練習も含めて、すごく良い思い出です。
このお陰で、私の一番得意なパートは3rdアルト、好きなジャンルがコンテンポラリーになりました。
厳しいのは楽器を持ってる時だけの話。
合奏が終われば仲良く話すし、皆でご飯食べに行ったり遊びにいったりも多かった。
音楽には真剣に、仲間とは仲良く。
かなり理想的な学生生活を送っていました。
「ホームがあるって、いいなぁ」と感じ、とても羨ましかった。
私の母校は人は少なく、JAZZやるのも一苦労。
新入生はきたものの、楽器も初めてという子も多く、音楽をする部活としてはまだ安定していない。
母校もいつかこんな風になったらなぁ、と。
<他大生であること>
秋に「東海ビッグバンドコンテスト」というのがありました。
トラに呼ばれて2か月程。
愛知・岐阜・三重・静岡の大学のビッグバンドが集まるなか
前年度は、静岡大学が優勝していました。
私にとって、初めてのコンテスト。
皆が期待していた仕事ができた、という自信までは持てなかったけど
演奏そのものは自分なりに精一杯やりました。
この年は残念ながら3位。
部員達がとても落ち込んでいた記憶があります。
それでも、同じ目標に向かって打ち込むというのはとても楽しかった。
大会後、静岡に帰る皆を見送った後
ポツンと愛知に残ったのがとても寂しかったです。
会場には愛知県の大学生が多数いました。
去年の騒動で存在を知られていたせいか、顔見知りも多く
再開を喜んでくれる子もいました。
ところが「他県の他大学のトラになった」という事に
嫌味を言う人も少なからずいました。
他大学生の存在は、デリケートな問題なのだな、というのも身に染みて感じました。
自分の存在は、学生ビッグバンドにとって本当に良かったのだろうか。
トラの立場について、密かに悩んだりもしました。
<いましかできない事>
進学先にビッグバンド部がない子にとっては
私のように、演奏したければ他大学にいくか、社会人バンドに入るしかない。
けど、社会人バンドはあくまで社会人のもの。
同い年と意気投合し、切磋琢磨し、意見をぶつけ合って悩んで、一緒に成長する。
学生でしか経験できないものも、多くある。
それをわずかでも体験する事ができたのは、とても幸せな事なんだ、と今では思っています。
自分が社会人になったら、例え年齢に差があろうとも、
『一緒に成長できるようなバンドを作れたら』と思いようになりました。
自分の周りには、学生バンドを経験することのできない人の方が圧倒的に多い。
学バン出身じゃなくても、本気でビッグバンドを楽しめるバンドにしたい。
この大学には、約束通り、リサイタルまでトラとして在籍しました。
ほんの数か月だったけど、いろんなものを得られた。
とても思い出深い期間でした。
<必要なもの>
その後、部活動はJazz Rainbowに絞りました。
まずは部員を増やして、音楽をできる部活にしたい。
新入生に来てもらい、楽器の種類や音の出し方を教える。
Jazzとは何かを伝え、何とかして魅力を伝える事。
「この部に入ってよかった!」
と思ってもらえる活動をする事。
それを目指して、皆で手探りで部活動を行いました。
OBの先生から寄付を募り、ライブに使えるよう電子ピアノを購入。
ウッドベースを修理し、ドラムセットをJazz用に組みなおしました。
CDをたくさん寄付し、楽譜を整理しておく。
基礎練習の仕方やリサイタルの仕方も、細かくファイルに残しました。
キャンパス内の学部数の問題で、どうしても部員は少なくなる。
例え人少なくても、いつかまた廃部になりかけても
私達の世代のように、「何とかしなきゃ」という学生が出てくると思うから。
学校や部活に関するさまざまな資料をまとめて、卒業しました。
演奏する場があること。仲間がいる事。本番ができる事。楽譜がある事。
あたりまえのようで、実はとても維持が難しい。
でも、猫バンドでは、それがあたりまえであるようにしていきたいのです。
いままで在籍してきたさまざまなメンバーが、いろんなものを残していってくれました。
そこにまた新しいものを付け足しながら、活動していきたいと思います。
<ジャンルを超える>
部活以外にも、いろんなジャンルに参加しました。
機会さえあれば、サックスを使えるものは何でもやってみた。
サックス四重奏、ニューオーリンズスタイルブラス、クラシック奏者との演奏。
吹奏楽団に参加したこともあれば、結婚式演奏の仕事をしていたこともあります。
どのジャンルの人達も、本当に自分の音楽を愛していた。
自分がJazzを好きなように、その人達も自分の音楽に誇りをもっていました。
奏法が違ったり、音色が違ったり。
時にはJazzに意外なイメージを持たれている事を知ったり。
私自身が、変な固定概念を持っていたことに気づいたり。
一つ一つが面白い発見でした。
その中で、やっぱり自分はJazzが好きなんだな、とも改めて気づきました。
多数の人と演奏する、ビッグバンドが面白い。
3年間続けた、月一回の社会人ビッグバンドで、いろんな曲を知りました。
スイングジャズも、コンテンポラリージャズも、ものすごく奥が深い。
バンドを運営するのに必要なものも勉強できました。
幅広い年齢層の人達と交流するコツも。
社会人になるタイミングでバンドを卒業。
運良く西村久さんに出会い、猫バンドを立ち上げました。
<楽器を続けること>
社会人になっても楽器を続けるというのは、難しい事。
よっぽど楽器が好きじゃないと、卒業と同時に辞めてしまう。
続けようと思っても、自分に合うバンドを探すのも意外と難しいかもしれません。
母校のOBバンドがあるのであれば、それが一番気軽に続けやすいのかもしれない。
でも、そうでないからこそ、できることもあるかもしれない。
Alley Cats Big Bandを立ち上げて今年(2018年)で8年。
少し珍しい、完全に母体のないビッグバンド。
自分自身の経験が基となって、猫バンドを運営しています。
それが正しいかはわからない。
多種多様な人が集まっていて、経験してきた出来事もそれぞれまるで違う。
音楽以外にも一人一人がいろんなものを背負って活動している。
「厳しい!」と言われる時もあれば「ゆるい!」と言われる時もあるけど
きっと正解なんてものはどこにもない。
今一緒に活動している仲間と、新しく作り続けていくのみ、だと思っています。
2018年2月 バンドリーダー 辻田広美